Credit: JD Harvill from Atlanta, USA, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
LGBTQ+の人々が、自分らしく生きることを祝うイベント「プライド」。性的マイノリティが集まる場で、何度も耳にしてきたのが「最初のプライドは暴動だった」という言葉でした。これがきっかけとなり、私はLGBTQ+の権利運動の歴史にとても興味を持つようになりました。アメリカ南部で生まれ育った私は、既存の性別や性的指向の枠に収まらないと自認する「クィア」でもあります。アメリカ北部に位置するニューヨークで誕生したプライドイベントが、どのような過程を経て南部へと広がっていったのか。南部出身のクィアとして、その足跡をたどってみたいと思います。
南部に根付く差別の歴史
奴隷制の歴史や保守的な価値観を背景に、アメリカの文化や政治を長きにわたって形作ってきた地域のひとつが、南部です。アメリカは広大な国であり、地域ごとに文化が大きく異なります。そのため、人々の権利や多様性への理解度も、州によって大きく異なります。
この「南部」という表現は、地理的な概念よりも文化的な意味合いが強く、かつて奴隷制を認めていた南部連合の州およびテキサス州を指しています。南部連合とは、奴隷制の存続を主張してアメリカ合衆国から脱退した南部11州が1861年に結成した国家ですが、南北戦争での敗北により1865年に崩壊しました。そうした当時の名残もあり、南部では他の州よりも人種的マイノリティやLGBTQ+の人々への差別が公然と行われる傾向にあります。

地理的な南部とは限らない「米国の南部」
Credit: Wapcaplet, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
アメリカ南部には多くの人種的マイノリティが暮らしていますが、それはこの地域が多様性をより広く受け入れているからではありません。故郷を離れられない、あるいは離れたくないという人々が存在するためです。差別的な法律や社会的な偏見が根強い地域にもかかわらず、クィアを含む多くの少数派コミュニティは南部で生き続け、その規模は拡大傾向にあります。
逆風の中で生まれた南部最初のプライドイベント
アメリカのクィアの歴史といえば、1969年にニューヨークで起きた「ストーンウォールの反乱」を起点に語られるのが一般的です。この反乱は、警察の不当な強制捜査に対して、クィアの人々が初めて表立って抵抗した事件で、これがゲイ解放戦線(Gay Liberation Front)の結成につながり、本格的な活動が始まりました。
1971年には、そのジョージア州支部が、アトランタで南部初のプライドイベントを開催しました。前年にもストーンウォールの記念集会が開かれましたが、プライドの意味合いとして正式に企画されたのは、この1971年のイベントが最初とされています。とはいえその規模は小さく、参加者にとっては周囲や社会からの孤立を意味する危険な行為でした。生涯をLGBTQ+の権利運動に捧げた活動家、ベリル・ボイキンは、当時のアトランタ・プライドの先導役でした。しかし行政がパレードを許可しなかったため、彼を含む参加者全員が、一般の歩行者に混じって歩道を行進するしかありませんでした。
初期のプライドイベントの多くは、このアトランタの事例と同様に小規模で非公認のものばかりでした。そこから、危険を顧みない先人たちの歩みによって、南部におけるプライドは着実に拡大していったのです。1976年にはアトランタ・プライドの参加者は1,000人を超え、ルイジアナ州ニューオーリンズやフロリダ州マイアミといった都市においても、プライドパレードが開催されるようになっていきました。

LGBTの人々に対する不快感は、全米全体よりもアメリカ南部の人々の間で高い
Credit: LGBT Life in the South via Glaad
試練の時代にこそ深まる連帯
1980年代から90年代にかけて、アトランタ・プライドは数日間にわたるイベントへと発展していきます。しかし80年代後半に入ると、エイズという病がLGBTQ+コミュニティを激しく蝕み、多くの命を奪い、クィアの人々を社会的な孤立へと追い込みました。そうした未曾有の危機の中で、人々はお互いの連帯を一層深めていくこととなりました。当時のプライド参加者たちを突き動かしていたのは、自分たちも社会の一員であり、ここに確かに生きていることを堂々と示したいという強い思いです。それこそが、彼らの存在を消し去ろうとする一般社会への、力強い抵抗の表れでもありました。
ストーンウォールの反乱から25年という節目の年にあたる1994年には、世界各地で祝賀イベントが開催されました。この年のアトランタ・プライドの参加者は15万人に達し、その活動の焦点は、エイズの蔓延を食い止め、それに伴う社会的偏見と徹底的に戦うことへとシフトしていきました。
35万人の祭典の裏で今も続く闘い
2000年代に入ると、アトランタをはじめ南部の主要都市におけるプライドは、大規模なパレードを伴う、現在のような広く社会に開かれたイベントへと発展しました。2025年にはアトランタ・プライドの参加者が35万人を突破し、クィアの人々とそのアライたちが、自分らしく生きる喜び(クィア・ジョイ:Queer Joy)を分かち合い共に祝うことができる場となっています。
しかし今もなお、アメリカのLGBTQ+の人々は抑圧と闘い続けています。クィアを違法とする法律の存在や、HIV感染をはじめとする健康上の脅威。そうした差別や困難に直面しながらも、強さ(レジリエンス)と連帯(ソリダリティ)をもって歩んできた人々の精神は、今も南部のプライドの根底に脈々と受け継がれています。今年のプライドも、そしてこれからも、私たちはここに至るまでの道のりを決して忘れてはなりません。
ゲストライター W. Tysonによる寄稿
(こちらは英語による執筆記事の日本語訳です。是非、オリジナル英語版もご覧ください。)

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