既婚女性の投票権を剥奪か|不正対策の名を借りた差別法案

Credit: Phil Roeder, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons


アメリカのトランプ政権は今、市民権を持たない人が行った不正投票の事例を大きく取り上げ、「Safeguard American Voter Eligibility法(以下、SAVE法)」 の成立に向けた世論の支持を集めようとしています。 しかし、SAVE法が問題視する「非市民による不正投票」はもともと違法行為です。アメリカでは、初めて投票する際や引っ越し時などに有権者登録を行いますが、米国移民局(USCIS) によると、有権者登録時に市民権の確認を行ったケースのうち、実際に非市民であった割合はわずか0.04%に過ぎませんでした。つまりSAVE法は、すでに違法であり、実際にはほとんど起きていない問題に対処するための、実質的には不要な法律と言えます。 

投票を阻む新たな本人確認制度

この法案が現状の文言のまま成立した場合、投票手続きに新たな壁が立ちはだかり、数百万人もの社会的少数派、いわゆるマイノリティーの市民が投票の機会を奪われる恐れがあります。具体的には、SAVE法では、有権者登録の際に本人確認として認められる身分証明書の種類を大幅に制限しようとしています。これまでのように有効な運転免許証を提示するだけでは受け入れられず、現在使用している身分証に記載された情報と一致する出生証明書や米国パスポート、アメリカ先住民族の自治組織が発行する身分証明書(部族IDカード) などの提出が必要になります。なかでも米国パスポートは、様式や記載項目が統一されているため職員が本人確認をしやすい身分証と考えられていますが、取得費用がかかるため、実際に所持しているアメリカ人は53%にとどまっています。 

現在、特に懸念されているのが、出生証明書の要件です。通常使用している身分証明書と出生証明書の記載に、名前や性別の違いがある場合、追加の本人確認や書類提出が求められることになります。この要件は、法律上の性別を変更したトランスジェンダーだけでなく、結婚を機に姓を変更した女性にも不利益が生じることが懸念されます。アメリカでは既婚女性のうち実に84%が結婚後に姓を変更していることから、この要件の影響は広範囲に及ぶとみられています。さらに、SAVE法では、法案成立後に認められなくなる身分証をこれまで通り受け付けた投票所職員に対し、刑事罰を科す規定も盛り込まれています。その結果として、女性やその他マイノリティの有権者登録を受け付ける際、職員が必要以上に慎重になり、承認されないケースが増えることも考えられます。実際、ニューハンプシャー州で可決された同様の規定では、米国の出生証明書を用いて有権者登録を行おうとした既婚女性が、記載されている旧姓と現在の氏名が一致しないという理由で婚姻証明書の追加提出を求められたり、登録そのものを拒否されたりする事例が相次いで報告されています。  

米国で男性と結婚している女性の79%が夫の姓を名乗っていることを示すグラフ

既婚女性の79%が男性パートナーの姓を名乗っている(アメリカ)
Credit: About 8 in 10 women in opposite-sex marriages say they took their husband’s last name, Pew Research Center, Washington, D.C. (September 7, 2023)


女性を家庭に縛る家父長制の思想

女性に不利益をもたらすこの法案に対し反対の声が強まる中で、現政権はこうした懸念をものともせずに法案成立を推し進め、マイノリティの権利制限を目的とした超保守的な政策を次々と打ち出しています。その中で注目を集めているのが、政権が支持するキリスト教保守派グループです。彼らは女性参政権そのものを廃止し、「世帯投票制度」に置き換えるべきだと主張しています。この制度は時代遅れの家父長的な性別役割や価値観を優先するもので、すべての既婚女性は自らの投票権を夫に委ねることになります。こうした主張は、世の中のあらゆる権力を男性に集中させ、女性を家庭に縛り付けてきた、根深いジェンダー構造を反映しています。

また、こうした運動は「トラッドワイフ(Tradwife)」というSNSのトレンドを通じても支持を広げています。「伝統的な妻」を意味するこの言葉は、働きに出ることなく家庭を守り、夫に従うといった昔ながらの性別役割を重視する女性やライフスタイルを指します。トラッドワイフ系のインフルエンサーは、子育てをしながら専業主婦として暮らす若い既婚女性たちで、家計の管理や収入を得る役割は夫に任せることを理想とし、積極的に発信しています。世帯投票制度もトラッドワイフの生き方も、夫との衝突を避ける代わりに女性が投票権を夫に託し、経済的にも夫に依存するという点で共通しています。しかしこれは到底正当化できるものではなく、女性が本来持っている自由を手放すことを、あたかも望ましい選択であるかのように受け入れさせる危険な考え方です。物価高騰が続く中でキャリア構築に奮闘し、ストレスを抱える若い女性たちも存在します。そうした女性たちが、このライフスタイルの魅力ばかりが強調された情報に惹かれ、経済的自立や社会とのつながりを手放す代償を十分に考慮しないまま、この暮らしを選んでしまうのも無理はありません。 


女性の権利を後退させないために

世帯投票制度を支持したり、トラッドワイフのライフスタイルを美化したりすることは、女性たちが今日の権利を勝ち取るまでに積み重ねてきた、何世紀にもわたる苦しい闘いをないがしろにすることを意味します。女性が働いて経済活動に携わること、そして投票権を持つことは、歴史の中で勝ち取ってきた権利です。だからこそ、女性の社会的役割をめぐる誤った主張を正し、率直に議論することが重要です。女性の権利を抑圧しようとする動きに対抗するには、社会全体で声を上げることが欠かせません。SNSで正確な情報を共有したり、女性の権利侵害に抗議する地域の活動に参加したりすることもできます。女性の権利を守る未来は、思いを同じくする候補者に、一人ひとりが投じる一票から始まります。

投票ステッカーを手に持つ人物のクローズアップ写真

ゲストライター S. Jarvisによる寄稿

(こちらは英語による執筆記事の日本語訳です。是非、オリジナル英語版もご覧ください。)


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