1991年に閉鎖されたケイン・ヒル精神病院(ロンドン)
Credit: Peter Trimming, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
WHO(世界保健機関)は、健康を「単に病気や不調がないというだけでなく、身体的、精神的、そして社会的にすべてが満たされた状態」と定義しています。しかしこの定義に対しては、「精神的な不調は人が生きていくうえで避けられないことのひとつである」という視点に欠けている、という批判もあります。
女性や有色人種、LGBTQ+など他のマイノリティの人々と同様に、精神疾患のある人々も偏見や差別的な扱いを受けてきました。かつては、ロボトミーという、脳の前頭葉と他の部位の神経を切断する外科的手術が、精神疾患の治療として行われていたこともあります。しかし術後に、人格の変化や感情の喪失といった深刻な後遺症をもたらすことが多く、その非人道的な側面が問題視され、次第に行われなくなっていきました。また中世ヨーロッパでは、「狂気の原因は頭の中にある石」と考えられており、石を取り除けば正気に戻るという迷信的な医療行為さえ存在しました。多くの国では、精神疾患のある人を病院に強制収容し治療する方法が一般的でしたが、そうした施設では、虐待や本人の意思に反した薬の過剰投与など、不適切な対応が横行していました。

「愚者の石の切除」16世紀初頭、スペイン・プラド美術館所蔵
Credit: Hieronymus Bosch, Public domain, via Wikimedia Commons
精神医療の負の歴史
19世紀から20世紀にかけて、多くの国では精神科病棟への収容に関する明確な法的枠組みが存在せず、精神疾患の定義も曖昧であったため、本人の同意なしに収容されるケースが多く存在しました。その結果、精神科施設は過密状態に陥り、十分な予算も確保されず、人権侵害ともいえる状況が各地で発生しました。中には、必要以上の投薬や身体拘束、さらには電気ショック療法といった残酷な処置が患者に施されることもありました。
隔離よりも地域社会とのつながりを
しかし現在では、倫理に反するこうした治療法は見直されつつあり、「脱施設化(deinstitutionalization)」という考え方が広まり始めています。これは、精神疾患のある人々を病院などの施設に閉じ込めるのではなく、地域で生活しながら支援を受けられるようにするという試みで、患者本人の尊厳や自由を尊重することに重点を置いています。たとえばアルゼンチンでは、2010年に「国家精神保健法」が制定され、精神医療のあり方が大きく変わりました。この法律では、精神疾患の複雑な特性をふまえ、施設収容よりも地域社会において治療と支援を優先する方針が掲げられています。重視されたのは、人権の尊重、患者の自律性、社会とのつながり、そして支援サービスの利用のしやすさです。
アルゼンチンは、前述の法律に基づき、2020年までの10年ですべての精神科病院を閉鎖するという、完全な脱施設化を目指していました。しかし実際には、全国のすべての施設が閉鎖されたわけではありません。現在の方針では、精神科施設は緊急性が高く深刻なケースに限り、最後の選択肢として使われることになっています。
カナダでも1960年代に、脱施設化に向けた取り組みが始まりました。各州で強制入院に制限をかける基準が設けられ、患者自身が納得のうえでの自発的入院が原則となり、また地域社会による支援の強化や、薬物依存の予防にも力がそそがれることとなりました。これにより、支援付き住宅の整備や、地域主導のメンタルヘルス・プログラムの整備が進むきっかけにもなったことは特筆すべきポイントです。しかし一方で、精神科病院からの退院後に十分なフォロー体制が整っていなかったことから、退院した患者の10.5%がホームレス状態に陥ってしまったという深刻な問題が生じました。
患者の自律と地域支援が改善への近道
こうした事態を繰り返さないためにも、患者の自律性を尊重し、人権を守りながら、支援が必要な人に適切なサポートを届けられるような法的枠組みが欠かせません。精神疾患のある人を社会から切り離し、施設に隔離するという対応は、心理教育や多様な治療法が存在する今の時代には、もはや適切とは言えないでしょう。この心理教育とは、本人や家族が病気に関する正しい知識を身につけ、理解や回復を促すための支援であり、こうした取り組みも地域での共生を支える大きな力になるのです。
完全な健康体でないことを、まるで「悪」であるかのように捉えてしまう価値観が私たちの中にある限り、隔離的な治療が再び正当化されてしまうおそれがあります。地域社会による支援は、患者に寄り添った、より実効性のあるメンタルヘルスのあり方です。こうした支援を現実のものとするためには、法律と地域の現場をしっかり結び、施設の体制整備や専門職の育成を同時に進めていく必要があります。誰もが安心して暮らせる社会の実現に向けて、制度と意識の両面からの変革が、これからの課題です。

(こちらは英語による執筆記事の日本語訳です。是非、オリジナル英語版もご覧ください。)

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