ある日の午後、パラグアイの首都アスンシオンの街を歩いていると、ふとこんな言葉が耳に入ってきました。「Mba’éichapa nde ka’aru?」 これはパラグアイの先住民族であるグアラニー族の言葉で「こんにちは」といった意味ですが、学校で習うスペイン語とはまったく異なる響きです。そしてこの言葉は現在、パラグアイのほか、アルゼンチン北部の一部地域でも使われています。現代のアメリカ大陸で、国民の多くが今なお先住民の言語を日常的に話している国は、このパラグアイだけです。現在、5歳以上の国民のおよそ70%が、日常的にグアラニー語を使って生活しています。
パラグアイが守りつづけたグアラニー語
グアラニー語の起源は、パラグアイがスペインの植民地であった1500年代から1800年代にさかのぼります。この地域に住んでいた先住民、主にグアラニー族の言語と、スペイン語が混ざり合うことで、独自の言語として形成されていきました。世界中で多くの先住民言語が抑圧されてきた歴史とは対照的に、パラグアイでは植民地支配層やイエズス会の宣教師たちが、積極的にグアラニー語を使用しました。
時が経つにつれ、グアラニー語は国家のアイデンティティ、そして抵抗の象徴としての意味を帯びていきます。特にその意味合いが強く表れたのが、19世紀後半に起きた三国同盟戦争(War of the Triple Alliance)です。ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの連合軍との戦争で多くのパラグアイの男性が戦死する中、女性たちは侵略者の言語に染まることのないよう、家庭内でグアラニー語を子どもたちに教え続け、民族の誇りを守ろうとしました。その後、1954年から1989年までの独裁政権下では、グアラニー語は「教養のない下品な言葉」と見なされ、公の場で話すことがはばかられる時期もありました。

現在グアラニー語が使われる地域
Credit: Fobos92, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
しかし、それでも多くの家庭では、この言葉を密かに受け継ぎ、子どもたちに教え続けてきたのです。こうした人々の思いと努力によって、グアラニー語は世代を超えて現代にまで生き延びることとなりました。
1992年、グアラニー語はスペイン語と並んで、パラグアイの公用語として正式に認められました。1987年からは、小学校においてスペイン語とグアラニー語によるバイリンガル教育制度も導入されています。今では、官公庁、学校、音楽、スポーツの場など、社会のさまざまなシーンでグアラニー語が聞かれるようになりました。国の調査によれば、パラグアイ国民の3分の2以上が、家庭や日常生活の中でグアラニー語を話しており、スペイン語と併用するか、グアラニー語のみで会話するのが一般的となっています。別の調査では、グアラニー語のみを話す人は全体の約31.6%、グアラニー語とスペイン語のバイリンガルは36.7%、そしてスペイン語のみを話す人はおよそ29%にとどまっているとのことです。こうした実態をふまえ、2010年に制定されたパラグアイの言語法(Language Law)では、公務員に対してグアラニー語の習得が義務づけられました。また、公的文書やサービスには、必ずグアラニー語も併記することが定められています。
現代における先住民言語の実情
パラグアイのように、先住民言語が広く社会に根づいている例は、南米全体でも非常に稀です。たとえば、15世紀から16世紀にかけて南米西部を支配していたインカ帝国では、ケチュア語が行政言語として用いられました。現在、その中心地だったペルーやボリビアでは、ケチュア語は公用語の一つとして位置づけられています。
また、主にボリビア高地やペルー南部で話されるアイマラ語も、先住民族によって受け継がれてきた言語です。ケチュア語とは異なる言語体系を持ちつつ、同じアンデス地域に根ざした先住民文化の一部として今も使われています。しかし、現在ペルーでケチュア語を母語として話す人は、全人口の13〜14%程度にとどまり、アイマラ語にいたってはわずか2%に過ぎません。一方、ボリビアでは憲法により37の先住民言語が公式に認められているものの、使用実態を見ると、スペイン語が約70%、ケチュア語が18%、アイマラ語が10%という割合となっています。

南米各国における先住民言語の数
Credit: World Bank via AS/COA
先住民言語の使用状況にこれほどの差がある主な理由は、南米の多くの社会において、スペイン語が依然として「権力の言語」として機能し続けていることにあります。ペルーやボリビアでは、学校教育で先住民言語が必須とされておらず、子どもたちがその言葉に触れる機会自体が限られています。また、多くの先住民家庭では、社会的に認められるにはスペイン語を話す必要があるという意識が広く根づき、社会的成功の鍵のように考えられています。こうした背景が重なり、ケチュア語は「先住民が話す時代遅れの言葉」と見なされ、次の世代へと継承される機会が失われていったのです。
言葉が生き続けるということ
パラグアイにおけるグアラニー語の歩みは、制度的な支援と人々の粘り強い努力があれば、言語が世代を超えて生き続けられるということを証明しています。グアラニー語は、博物館の展示品のようにただ「保存された」存在ではありません。今なお人々の暮らしの中で使われ続けている、生きた言葉なのです。もちろん、課題がないわけではありません。たとえば、グアラニー語のデジタル環境の整備はいまだ十分とはいえず、都市部の教育現場ではスペイン語教育が優先される傾向にあります。しかしそれでも、パラグアイの取り組みは、先住民の言葉を社会に自然に溶け込ませ、文化をより豊かにしていくための大切なヒントを、私たちに教えてくれているのです。

Credit: FrankOWeaver, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
(こちらは英語による執筆記事の日本語訳です。是非、オリジナル英語版もご覧ください。)

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